「親」として、「子」として

本堂で水子供養を勤めた後、多くのお施主様が今回の供養に至るまでの、そのいきさつを私にお話されます。

 

水子の精霊様の「いのち」の重み、そしてその意味を噛み締めるかのように勇気を持ってお話される方々のお姿は、私の胸を打ちます。

 

最近、とある若いご夫婦が、水子供養のために来山された際のことです。供養の終わりに「私たちは供養していただいた、亡くなった子どもがきっかけで結婚しました。妊娠がわかった直後は、私たちは戸惑い、安易に「子どもを育てることは無理」と結論づけてしまいました。

 

その後、それぞれの両親を交えて、話し合いをもちました。それぞれの親の気持ちは、私たちが生まれ、今まで育ててきたことへの無上の喜びと感謝でした。そのことを私たち二人にも親になって是非経験してほしい、「いのち」の尊さを実感してほしいと言われたとき、子どもを育てていく決心ができました。

 

しかし残念なことにおなかの子は流産してしまいました。産んであげられなかった無力感、申し訳ない気持ちに暮れる毎日でした。しかし、亡くなった子どもにとって、私たちは未来永劫、親であることには変わりはありません。そのことにようやく気づくことができました。今回、亡き子どもに親としての決意を伝えるために、私たちは結婚し、その供養に弘正寺に参りました」とおっしゃいました。

 

亡くなった水子さんも、このお二人が私のお父さん、お母さんで良かったと、さいの河原でうれしく思っておられることでしょう。合掌

 

※この手作りの作品は、弘正寺篤信者の峰澤さんが奉納されました。

IMG_3934

 

 

©Atagosan Koushouji All right reserved,