たいせつなこと(2)

「邪見(じゃけん)」という仏教の言葉があります。「誤った考え方」を意味します。

 

何が「誤った考え方」か、それは三宝(さんぼう、①仏様、②仏様の御教え、③この二つを信じるお坊さん)を認めないことです。これを仏教では「邪見」と言うのです。

 

前回挙げた年配の女性の「クチコミ」には、「前の住職」「世代交代」とありますが、真実は全く違います。何も知らないままでの意見は、大きな誤りであり、大変恥ずべきことであります。

 

今では「邪見」は、誤りから転じて、意地悪で思いやりがない、むごいことの意味にもなりました。よく「邪見にする」と言いますよね。そして、元からの仏教の御教えとしても、今の言葉の意味としても、この女性の「クチコミ」は「邪見」と言えましょう。

 

平成26年、年明け早々に住職である父が脳出血で倒れました。今も左半身が麻痺し、法衣を着て、お経を読むことはできません。しかし、倒れてからの日々、紆余曲折の中、私たちは、今も住職が願い、求め続けるさいの河原万体地蔵尊の「護持」を、懸命に勤めて参りました。

 

「護持」とは、他から犯されないように守ること、尊んで守護することです。

 

お寺は、今もなにも変わりません。住職を中心に寺門一同、日々仏道に勤めております。

 

勝手になきものにしないでいただきたい、日々懸命に困難に立ち向かう住職に大変失礼です。私たちは、この女性の「邪見」から、さいの河原万体地蔵尊、弘正寺を「護持」せねばならないのです。合掌

 

※住職の願いがここに刻まれています。

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